愛LOVEジャイアンツ

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トになります。

    2020年05月



    (出典 www.nikkansports.com)


    そんなに居るかな。

    1 風吹けば名無し :2020/05/30(土) 22:09:32

    ホルホルしすぎやろ


    【正直「岡本和真」程度なら11球団には頻繁に現れるよな?】の続きを読む



    (出典 amd.c.yimg.jp)


    抗体検査したんだね。

    1 影のたけし軍団ρ ★ :2020/05/28(Thu) 18:38:54

    ソフトバンクが27日に工藤監督、コーチ陣、選手、スタッフ、球団職員を含む約200人に新型コロナウイルス感染対策として
    感染歴などを調べる抗体検査を行い、全員が感染歴のない「陰性」であることが28日、分かった。

    この日、チームは通常通り本拠地ペイペイドームと福岡・筑後市のファーム施設で練習、紅白戦などを行った。

    抗体検査の実施は孫正義オーナーの指示で、ソフトバンクグループ全社員に行うことになっており、
    三笠GMもオンライン取材で「孫オーナーから言われており、(抗体検査の)準備をしている」と話していた。

    検査はペイペイドーム内で行われ、参加者は「3密」防止のため少数グループに分かれ、時差で行った。
    https://www.nikkansports.com/baseball/news/202005280000503.html


    【プロ野球・ソフトバンク全員 「陰性」 感染歴など調べる抗体検査】の続きを読む



    (出典 www.nikkansports.com)


    支配下登録ですね。

    1 風吹けば名無し :2020/05/31(日) 03:05:50

    この時間だと誰もおらんか


    【【朗報】巨人、沼田を支配下登録へ】の続きを読む



    (出典 www.nikkansports.com)


    藤浪は今のままでは駄目かな。

    1 風吹けば名無し :2020/05/29(金) 18:48:03

    ハムか?


    【【急募】藤浪を更生できそうな球団】の続きを読む



    (出典 i.imgur.com)


    タイプ的には違う様な感じですね。

    1 砂漠のマスカレード ★ :2020/05/30(土) 13:10:01

    ダブルプレーを取るための攻め「守っていて楽しい投手」

    読売巨人軍史上屈指の好打者で通算1696安打を放ち、守備でも名二塁手として鳴らした篠塚和典氏(1992年途中までの登録名は篠塚利夫)。
    Full-Countでは、篠塚氏が現役時代にと
    もに戦った名投手たちを振り返る「篠塚和典 背中を見てきた投手たち」を連載中。
    今回は、巨人の2枚看板として同僚の“怪物”江川卓氏に強烈なライバル心を抱き続けた、西本聖氏について語る。

    西本氏といえば、切れ味鋭いシュートが武器で、特に右打者の内角に食い込むそれは威力十分。1983年の日本シリーズ第2戦に先発し、西武打線を4安打完封、27アウトのうち21を内野ゴロで取ったのは今も語り草だ。この試合でも二塁を守っていた篠塚氏は、「当時はセカンドのポジションからでわかりづらかったけれど、いまテレビで昔の映像を見ると、『うわっ、よく曲がってるなあ』と驚きますよ。特に(西武の主砲の)田淵幸一さんが嫌がっていた。『これは、右打者は嫌がるわ』と思います」と嘆息する。

     その後西本氏は1989年にトレードで中日に移籍し、巨人戦で篠塚氏とも対戦している。「それまで同じチームでやっていた選手だからやりづらい、というのもあったけれど、西本さんは僕のような左打者に対しても、意外にインコースにシュートを投げてきたんですよ。膝の上に自打球を当てたことを覚えています。僕はあまり自打球を当てたことがなかったんですけどね」と篠塚氏は苦笑する。抜群のバットコントロールを誇った天才打者が珍しく自打球を当てたほど、西本氏のシュートは鋭かった。しかも篠塚氏は「巨人時代はもっと曲がっていたと思う」と言うのだから、おそるべしだ。

    「ランナー一塁の場合、守っている内野手はダブルプレーを取りたいという意識が強いのですが、西本さんはダブルプレーを取るための攻め(配球)をして、そのためのボールを投げていると感じました。
    こっちの思い通り内野ゴロを打たせてくれるケースが多かったです。
    コントロールが良く、このコースに行けば打球はこっちにくる、と計算しながら楽しく守れました」と振り返る。

    交互に4回ずつ務めた開幕投手、ライバル関係は「チームにすごく良い結果をもたらした」
     西本氏は1歳上の江川氏に強いライバル心を抱き、壮絶なつばぜり合いを演じた。愛媛・松山商高時代は甲子園に出られず、1975年にドラフト外で巨人入りし、2軍から這い上がった西本氏。対照的に、江川氏は栃木・作新学院高時代から甲子園で活躍して“怪物”の異名を取り、法大時代も東京六大学のスター、紆余曲折を経て79年に巨人入りした。篠塚氏は「西本さんが江川さんにライバル心を燃やし、江川さんも西本さんを意識していることは、われわれ野手も感じていました。それがチームにすごく良い結果をもたらしたと思います」と証言する。

     2人は開幕投手を、1980年・江川、81年・西本、82年・江川、83年・西本、84年・江川、85年・西本、86年・江川、87年・西本と交互に4回ずつ務めた。結局西本氏は、江川氏が現役だった9年間、1度も江川氏を上回る勝ち星を挙げることはできず、84年に15勝で並んだだけ。81年には、20勝・防御率2.29で2冠に輝いた江川氏でなく、18勝・2.58の西本氏が沢村賞に選出され、物議を醸した

    5/30(土) 11:31 Yahoo!ニュース
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200530-00785577-fullcount-base


    (出典 i.imgur.com)


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