愛LOVEジャイアンツ

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トになります。

    カテゴリ:野球 > その他



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    色々と出て来そうですね。

    1 風吹けば名無し :2020/05/17(日) 12:58:53

    ゴージーラーの看板直撃ホームラン
    本拠地デビュー満塁ホームラン
    日本凱旋の高橋尚からのホームラン
    日本開幕第二戦の特大ホームラン
    WSでペドロからの決勝ホームラン
    ヤンキースOB戦の特大ホームラン


    どれやろなあ


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    (出典 tk.ismcdn.jp)


    コロナでどうなるかまだ不透明ですね。

    1 ARANCIO-NERO ★ :2020/05/19(火) 14:33:50

     今季に限って東と西のブロックに分けてシーズン公式戦を組み、東西それぞれの地方で集中的に試合を開催するとのプランも一部報道で浮上しているとされていたが、すぐに立ち消えとなった。チームによっては本拠地を使えずに宿舎での長期滞在を強いられ、不平等を生んでしまう致命的な問題点があることで現実性には乏しいからだ。
    何より、このプランが仮に施行されるとしても宿舎滞在を強いられるチームは県境またぎで大人数の移動をすることになる。だから、すべての解決にはどうしてもつながらない。

     そして恥ずかしながら我々マスコミにも″感染源″となるハイリスクがある。開幕すれば各試合の球場に大挙して新聞、テレビ、あるいは雑誌、Webなどに属する記者やカメラマン、テレビクルーらが押し寄せるのは必至だ。ビジターチームの番記者や取材関係者も場合によっては当然県外から公共交通機関を利用し、選手らと同じように
    感染リスクが非常に高い移動条件の中で大勢来場する。

     それでも、もし各球団がコロナ禍以前のようなスタイルでマスコミに門戸を広げて球場への出入りを制限なく許可し、ソーシャルディスタンスを確保しにくく″3密″すべてに引っかかりやすい「囲み取材」をOKするとしたら、やはり不安は拭い去れない。球界内からも「マスコミからの取材に関して何も対策を講じなければ十中八九で感染者、
    あるいはクラスターを発生させる第2波誘発の要因につながってしまう」との警鐘が数多く鳴らされている。

     「プロ野球の開幕が許されるならば大人数のチーム遠征もOKなわけだし、それよりも少人数の短い日程の旅行は自粛しなくていいはず。観光地で″密″を避けながら行動すれば全然問題ない」

     このように胸を張りながら都合のいい解釈をする人も実際にたくさんいる。ただ、こうなるとプロ野球の開幕が人々の″自粛の防波堤″を崩壊させてしまうことにもつながりかねないだろう。プロ野球界はさまざまな開幕への″矛盾″を解決しなければ、たとえ「6・19」を決めても厳しい風当たりは避けられないかもしれない。

    全文は以下参照

    WEDGE
    https://news.yahoo.co.jp/articles/5b91139ee90f5e6fc0127a8544cc28f5b9e02713?page=3


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    (出典 www.giants.jp)


    メジャーでどの位通用するかな。

    1 風吹けば名無し :2020/05/17(日) 17:47:04

    あと一人は?


    【三大メジャーで見たかった選手「坂本勇人」「阿部慎之助」「高橋由伸」】の続きを読む



    (出典 livedoor.sp.blogimg.jp)


    メジャー行って通用したかな。

    1 砂漠のマスカレード ★ :2020/05/18(月) 18:34:08

     野茂英雄が海の向こうに渡り、2ケタ勝利を7度マークするなど「トルネード旋風」を巻き起こしたのが1995年。その6年後の2001年にイチローがメジャー・リーグ(MLB)で新人王、首位打者獲得し、04年にはMLBシーズン史上最多安打の262安打をマークするなど世界を代表する選手として名を刻んだ。その後も多くの日本人選手がNPBで結果を残し、MLBでも活躍している。今では若者たちがMLBでのプレーを身近な目標としてとらえているが、90年代前半以前は成功のモデルケースがなかったため、夢物語だった。ただ、「メジャーに挑戦しても通用する」と呼ばれていた名選手たちは少なくなかった。村田兆治、秋山幸二、今中慎二……彼らの全盛期はすごかった。

    ・村田兆治(ロッテ)
    ※通算成績 604試合登板、215勝177敗33セーブ、防御率3.24

     左足を地面と水平に高く蹴り上げてから大きく踏み込み、右腕を勢いよく振り下ろす独特の投球フォームで、マサカリを打ち下ろす動作に似ていたことから「マサカリ投法」の異名をとった。プロ4年目にこの投球フォームを完成させると、150キロを超えていたといわれる剛速球と落差の鋭いフォークで三振の山を築いた。最多勝利1回、最優秀防御率3回、最多奪三振4回、最多セーブ1回。148暴投はNPB歴代最多だが、ノーサインで投げる村田のフォークの鋭さから捕手が後逸した場面も少なくなく、すごみを物語っている。
    山田久志(阪急)
    ※通算成績 654試合登板、284勝166敗43セーブ、防御率3.18

     アンダースローでプロ野球最多の通算284勝をマーク。「史上最高のサブマリン」と称される。下から浮き上がる直球に、カーブ、スライダー、シュートと変化球はすべて超一級品。さらに、高速で鋭く落ちる伝家の宝刀・シンカーで打者を牛耳った。阪急の黄金時代を築いた大エースは最多勝3回、最優秀防御率2回、最高勝率4回獲得。メジャーではアンダースローが少なかったため、完成度の高い投球術はメジャーでも十分通用するという声が多い。

    ・秋山幸二(西武)
    ※通算成績 2189試合出場、打率270、437本塁打、1312打点、303盗塁

     1980~90年代の西武黄金時代を支えた。攻守走3拍子そろったプレースタイルで身体能力がズバ抜けていた。87年には43本塁打、90年は51盗塁でタイトルを獲得。日米野球で対戦したメジャー・リーガーからもその実力を高く評価されていた。西武で同僚だったデストラーデは「秋山ならすべてのメジャー球団で主力選手として活躍できる」と絶賛し、近鉄の強打者ラルフ・ブライアントも「日本で一番すごいと思った打者は秋山」と高く評価していた。

    5/18(月) 11:01 Yahoo!ニュース
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200518-00000004-baseballo-base


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    (出典 amd.c.yimg.jp)


    記録更新は難しいと思う。

    1 征夷大将軍 ★ :2020/05/18(月) 07:44:15

    ■本塁打、打点、四球…改めて分かる王貞治氏の偉大さ
    新型コロナウイルスの感染拡大の影響で開幕が延期となっている日本のプロ野球。交流戦、オールスターの中止は決まり、試合数も143試合から減少する見込みとなっている。これに伴い、選手の通算記録にも大なり小なり影響を受けることになるだろう。

    未曾有の事態となっている2020年だが、これまで長い歴史を紡いできたプロ野球84年では数々の偉大の記録が生まれてきている。この中にはもはや現代野球では到達不可能とも言える超人的な記録もある。そこで、84年のプロ野球の歴史で、ただ1人しか、その節目に到達できていない数々の偉大なる通算記録をクローズアップしてみたい。今回は野手編だ。

    ・3000安打(張本勲:3085安打)
    日本ハムの前身である東映フライヤーズの中心選手として長く安打を量産してきた張本氏。1959年にプロ入りすると、1981年に現役を引退するまで東映(日拓、日本ハム)、巨人、ロッテで23年間プレーし、通算3085安打を放った。意外にも最多安打は1970年、1972年、1976年の3度しかないが、20年連続で100安打超を放ち、ヒット数を積み重ねてきた。
    2位は野村克也氏の2901安打で現役最多は内川聖一の2171安打(日米通算では福留孝介の2395安打)。今季史上最年少での2000安打がかかっていた坂本勇人は現在1884安打。まだ31歳と若く、張本の3085安打超えにも期待が集まる。なお日米通算ではイチロー氏が4367安打を放っておりダントツ。

    ・800本塁打(王貞治:868本塁打)
    ・5500塁打(王貞治:5862塁打)
    ・2000打点(王貞治:2170打点)
    ・2000四球(王貞治:2390四球)

    改めてみると王貞治氏(現ソフトバンク球団会長)の凄さがよく分かる。王氏は本塁打、塁打、打点、四球でただ1人しか到達していない頂きにいる。1959年に巨人入りし、1980年の現役引退まで22年間プレー。現在とは球場の広さなどに違いがあるものの、そのどれもが群を抜く数字だ。

    通算本塁打が700本を超えているのは王氏ただ1人。2位の野村克也氏が657本塁打で、その差は211本にもなる。1962年から13年連続、通算で15回の本塁打王に輝き、1962年から引退する1980年まで19年連続で30本塁打以上、うち13年で40本以上と驚異的な本塁打数を記録している。単純計算で20年連続で40本塁打打たなければ、手が届かないという大記録だ。

    王氏は5500塁打、2000打点、2000四球にも、球史でただ1人到達している選手。5862塁打は2位の野村氏の5315塁打に547差、2170打点は同じく182差、そして2390四球は2位の落合博満氏に915もの差をつける。王氏は1963年から16年連続で100四球を超えている。相手球団から徹底的に警戒されている中でも打ち続けていたことが、またその凄さを痛感させられる。

    なお王氏は1974年にシーズン最多記録となる158四球を選び、出塁率.532という驚愕の数字を叩き出している。また1967得点、427敬遠、通算出塁率.446も歴代1位となっている。

    >>2以降へ続く


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