テレビ番組『プロ野球珍プレー好プレー』で40年前のあるプレーが現在も伝説として取り上げられている。81年8月26日に中日の遊撃手・宇野勝が巨人戦(後楽園)で、フライの目測を誤って頭部にボールを当てた「ヘディング事件」だ。野球になじみのない人たちも見たことがある映像だろう。宇野の知名度を大きく上げた珍プレーだったが、現役時代を知らない視聴者からは誤解されている部分もある。宇野はNPB史上唯一の遊撃手で本塁打王を獲得し、守備でもナインから高い評価を受けた名選手だった。
千葉県出身の宇野は銚子商高で3年夏に甲子園に出場。「三番・遊撃手」でチームの中心選手だった。中日にドラフト3位で入団すると、高卒3年目の79年に遊撃のレギュラーを獲得。81年には打率.282、25本塁打の好成績をマークする。「ヘディング事件」はこの年に起きた。宇野は79年以降7年間で6回のリーグ最多失策を記録している。遊撃の守備が堅実とは言い難かったが、数字では表れない貢献度があった。180センチの長身でダイナミックな動きと強肩に加え、素早い身のこなしと高い技術にナインの評価は高かった。
外野手として計9度のゴールデン・グラブ賞を獲得し、中日で同僚だった平野謙は宇野の守備について週刊ベースボールのコラムでこう語っている。
「ショートで一番うまいと思ったのは西武時代の石毛(宏典)ですが、(宇野)勝もいい選手でしたよ。僕はドラゴンズ時代センターでしたが、補殺が結構多かった。センターは一人でホームに投げての補殺もあるけど、後ろの打球とかは、そうはいかない。そのときはセカンドの上川(上川誠二)とか、ショートの勝がカットマンで入ったんですが、勝は捕ってからが速いんですよ。あの状況判断のよさは、走者の動きがすべて頭に入っていないとできない。フライを頭に当てた珍プレーしか浮かばないかもしれないけど、うまいし、野球をよく知っているショートでした。あいつは外野手に1球1球サインをくれました。背中に手を回して指で、けん制があるかどうかとか、あとは捕手のサインが変化球か真っすぐか。これは、やる選手とやらない選手がいたけど、勝は意外とマメで全球サインを出していましたね」
当時は守備の負担が大きい遊撃の選手に打撃で多くを求めない考えが浸透していたが、この球界の常識を覆したのが宇野だった。リーグ優勝した82年に自身初の30本塁打をマーク。84年は37本塁打で当時阪神の掛布雅之とともに本塁打王のタイトルを獲得した。遊撃のレギュラーで本塁打を獲得するのは史上初の快挙だった。球界を代表するホームランアーティストとなり、翌85年も自己最多の41本塁打をマーク。この数字は元ヤクルト・池山隆寛、巨人・坂本勇人も届いていない。遊撃のシーズン本塁打で歴代最多記録だ。
ファンからも愛された存在
ナゴヤ球場に登場した「宇野人形」
勝負の夏場に強いのも魅力だった。8月に調子を上げて本塁打を量産することから、「ミスターオーガスト」と形容された。84年に本塁打王を獲得した際も、7月まではリーグトップの掛布に7本のリードを許していたが、8月だけで15本塁打を放ちタイトルを分け合っている。ファンからも「ウーやん」の愛称で絶大な人気を誇り、スタンドには宇野の顔を模造した巨大な「宇野人形」が登場して盛り上がった。
シーズン30本塁打以上を4度、20本塁打以上を9度マーク。「遊撃で長距離砲」という異色のスタイルで活躍した。プロ通算18年間で1802試合出場、打率.262、338本塁打、936打点、78盗塁。通算338本塁打は遊撃で歴代最多アーチだ。宇野は「心がけていたのは中途半端なプレーはしたくないということ。スイングはフルスイング。だからバットとボールが1メートル離れて空振りした次の投球をホームランにできたんだろうね」と振り返っている。
世間で有名な「ヘディング事件」は宇野らしさを物語るプレーかもしれないが、現役時代を知っているファンからすれば一端でしかない。時代を先取ったスケールの大きいプレーはもっと評価されてしかるべきだろう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/eb50f6c47163bff21771d616520b6bc5383dd0c2
1/31(日) 11:01配信
https://npb.jp/bis/players/31133844.html
成績
(出典 i.imgur.com)
(出典 i.imgur.com)
そのあとの星野までがセット
>>5
星野に飯誘ってもらってお互いの車で移動中に星野の車にカマ掘るまでだな。
>>9
あのプレーで星野が激怒したのは、当時連続試合得点記録を続けていた巨人に対してどちらがそれを止めるか小松と賭けをしていた。
あのプレーまでこの試合は星野の完封ペースだったという背景があった。
で、この後巨人の記録を止めたのは小松だったというのがこの話のオチ。
>>9
カマ掘ったのは別の日じゃなかった?
>>9
あの試合は後楽園だから自分の車で移動はない
って板東英二が言ってたな
>>93
星野の車におカマの件は試合直後の話じゃなく、後日の話だったはず。
>>97
後日っていうか全然関係ない話
>>9
それはデマ
宇野本人が否定してる
ウーやんは晩年サードに回されポジションを奪われ千葉にポイーされたわけだが奪われたのが強打の助っ人ならまだしも前原。
その理由は前原が高木監督の高校(県岐商)の後輩だから。
高木から星野になったとき真っ先に前原は首切られた。
落合のあと高木が監督になったときもすぐ前原がコーチで呼ばれた。
どんだけ高校愛やねんw
>>13
前原は、西武か何処かパへ放出だったな
>>13,>>26
1995年は星野さんの腹心の島野さんが代行監督
をやってたからその間に翌年以降に戦力になるか
どうか見極めてたんだろうね
そして清水雅治と前原博之がトレードされた
千一が大人げなかった、あの後ロッカールームどんなんだったんだろう
>>15
一緒に飯行ってカマ掘ってお前なんの恨みがあるんだと言われた。
セカンドのホームラン王はいるの?
>>18
小久保と落合
>>18
落合、小久保、山田哲人
>>29
山田哲人以外は後にコンバートしてるけど
落合博満も小久保裕紀もこの年はセカンド
だったね
味方のエラーに激怒してグラブ投げつけるピッチャーを見るとほんと胸がキュッとするくらい不愉快。
宇野のヘディングと下柳のあれしか知らないけど。
>>27
下柳の時は1イニングに3回やらかしたんだから、流石にキレるだろ(´・ω・`)
>>64
井端もイージーな真正面のゴロが一番難しいって言ってる
年末の珍プレー好プレーでアンタッチャブルと後楽園球場だった場所にヘディング地点探しに行ったりする愉快なおっさんだった
>>32
あの番組については激怒してるけどね
>>36
YouTubeでめっちゃ怒ってたな
宇野はヘディングのイメージで守備が下手に思われてるが本当は守備の名手
てのはウソであの当時モッカとの三遊間は絶望感満載
>>39
イメージほど下手ではないという程度だよね
宮本とかがよく言う、上手く見せないで簡単にさばいているように見せるのが理想なんだし
平野が言ってる、外野に向けてサインだしの話だって、
宇野はイメージ的にはやらなそうだけど、実はまめにやるってだけで、
宮本みたいな選手ならちゃんとやりそうでしっかりやるってだけだしw
>>39
レフトは大島康徳
魔の三角地帯
>>39
モッカの三塁守備は
衝撃的すぎた。
記録や指標で判断すると下手の範疇だろうけど、何げにチームメートや評論家からの守備の評価高いのが興味深いポイントだな。
>>40
まあ、本当に守備の評価がそんなに高いんだったら
いくら立浪とはいえ高卒新人にいきなりポジション奪われることはないと思うんだけどねえ
しかも、当時のショートは打撃よりも守備重視だったってことだしw
>>47
宇野は立浪にショート譲る前に一度サードへコンバートされたことがあったね。
しかし絶不調に陥って翌年ショートに再コンバート。
その後ホームラン王を獲り、41本塁打打った。
打撃を活*ためにショートへコンバートとか異色な例だった。
落合も宇野の守備を褒めてたし、立浪は宇野さんが一番上手いって言ってるのにな
あの事件で下手なイメージが付いちゃったな
モッカの守備範囲が狭くて宇野が巻き添え喰ってた感じ
>>55
立浪が宇野が一番うまいって言ってるのは
ボールトスについてだけでしょ
彦野とか仁村がいた時代か
恐竜打線とか言われてたよな、今は見る影もないが
>>59
彦野と仁村は星野野球の申し子。
うーやんの全盛期はもう少し前。
82年の優勝の頃が全盛期で88年は落ちてきてた。
>>65
平野や大島がいた時代か、田尾はもういなかったかな
>>68
いやいやいや82年のハマスタの優勝決定戦で田尾は全打席敬遠されたやんw
なんでいない事になってる?
>>71
そうか、ごめんw
もうかなり忘れてしまってるな
>>65
宇野の全盛期は本塁打王を獲った頃だろ
翌年も41本打ってるし
左右は強いんだっけ
上から弱いタイプは結構いる
一茂もそうだったし
>>61
正面に打球が飛んだ時にヒヤリとする感じだった。
左右の打球に対しては安心感あったけど。
そんで次の年にフロントの言うとおり2位になりましたよと言ってトレードに出された。
>>73
それ田尾
>>86
田尾の話をしていた。
あと宇野といえば
一打席で
バント失敗、バトン失敗、逆転ホームランで
出迎えた星野に殴られる。
>>87
宇野の燃えドラ初登場時の歌詞は「八番宇野がスクイズバント~♪」
その後とのギャップのでかさに苦笑
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