(出典 www.jiji.com)


完投が当たり前だった様な記憶。

1 砂漠のマスカレード ★ :2020/04/28(火) 00:11:14

その男は万年トレード候補だった。

1986年オフ、パ・リーグで2年連続三冠王に輝いたロッテの主砲・落合博満の巨人移籍が連日報道されていた。
まだ日本球界にFA制度が存在しなかった時代、ストーブリーグの話題と言えば大型トレードネタである。

結局、落合の移籍は12月23日午後10時過ぎに球団から発表され、トレード相手は巨人ではなく新監督・星野仙一の執念の巻き返しで逆転した中日だった。その夜、落合の中日入団会見はテレビ朝日系『ニュースステーション』で緊急生中継。

それをブラウン管の向こう側でかじりつくように見ていた21歳の巨人若手投手の談話が、当時の報知新聞に掲載されている。

「トレード要員として、ボクの名前が出てきたでしょ。ある新聞で『もし行けと言われたら? 』と聞かれて『仕方ないでしょう』と答えたら『移籍OK』みたいに書かれてしまった。あれはマイッタですよ。
両親も『決まったら決まったで仕方ないよ』と変ななぐさめ方をするし……」

まるで合コンでしくじったさえない大学生のようなコメントだが、そんな人のいい気弱な若者が、のちに“平成の大エース”と呼ばれる斎藤雅樹である。

平成前半の斎藤はとんでもなかった。

通算180勝96敗、防御率2.77。個人的にこれまでリアルタイムで見てきた中では歴代ナンバーワン投手だ。145キロ超えの直球とキレキレのカーブを武器にする本格派サイドスロー。

とにかく平成前半の斎藤はとんでもなく凄かった。


なにせ’89年から’96年の8シーズンで、沢村賞3度(史上最多タイ)、最多勝5度(スタルヒンに次いで歴代2位)、最優秀防御率3度、最高勝率3度、最多奪三振1度、3年連続開幕戦完封を記録。
仮に10年遅く生まれていたらメジャー球団の大争奪戦になっていた可能性が高いが、時代の変わり目の日本球界でひたすら勝ち星を積み重ねた。

三本柱は桑田、槙原、水野だった?

そんな平成の大エースも決して順風満帆なキャリアではなかった。’83年にあの甲子園のアイドル荒木大輔の外れ1位指名でプロ入りすると、一時は打撃センスを評価され遊撃手育成プランもあったが、藤田元司監督の助言でサイドスロー転向。

3年目の’85年に12勝を挙げるも、その後は7勝、0勝、6勝と伸び悩み、右ヒジ痛も抱え前述の通りトレード候補に。あだ名は、同姓の欽ちゃんファミリー斎藤清六にちなんで“セイロク”。食うか食われるかのプロの世界において優しさは時に足枷になる。

絶対的エース江川卓が引退した直後の巨人の次世代三本柱と言えば、桑田真澄、槙原寛己、そして水野雄仁。いわば、ファンから見た斎藤の印象は、どこかもどかしさすら感じる、いまいちハングリーさが足りない「同世代の出世レースに乗り遅れた男」だった。

しかし、だ。斎藤の運命は’89年から藤田監督が巨人に帰ってきたことにより大きく変わる。復帰1年目のシーズン、藤田は前年6勝の背番号41を開幕2戦目に先発起用したのだ。
ヤクルトに1点リードされて迎えた7回裏、打順が斎藤に回り誰もが交代と思ったが、ベンチはあえて代打を送らずそのまま打席に立たせた。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200427-00843309-number-base
4/27(月) 11:41配信


(出典 i.pinimg.com)


(出典 www.sponichi.co.jp)


(出典 www.jiji.com)


(出典 image.news.livedoor.com)


http://npb.jp/bis/players/81583869.html
成績


(出典 Youtube)

1994 斉藤雅樹 1 開幕戦完封勝利


(出典 Youtube)

斎藤雅樹11試合連続完投勝利(1989.7.15 G+)





2 砂漠のマスカレード ★ :2020/04/28(火) 00:11:51

11連続完投勝利の始まりの日。

さらに5月10日の大洋戦、その3日前の広島戦で1回3失点KOを食らっていた斎藤を中2日で先発マウンドへ。序盤は味方打線の援護にも恵まれ快調に飛ばしたが、8回に大洋打線に掴まると5-4と1点差まで迫られ、弱気の虫がうずく。マウンド上のセイロクはそれとなく交代を促す仕草を見せるも、藤田監督は続投を決断。

中日からトレード移籍してきた捕手・中尾孝義の強気のリードにも引っ張られ、満塁のピンチを併殺打でしのぐと、最終回も投げきり152球の完投勝利を挙げた。このギリギリの白星から、プロ野球記録の11連続完投勝利の偉業が始まったわけだ。

斎藤はマウンドで楽しそうだった。

何の仕事でも、信頼ができるボスとの出会いは人生を変える。指揮官が我慢に我慢を重ねて、やがて自信をつけ先発投手として開花していく当時24歳のサイド右腕。11連続完投中の内容を確認すると、11戦で総失点はわずかに12。途中3連続完封を挟み、7月15日ヤクルト戦の新記録達成試合も3安打完封勝利で飾っている。

この頃の斎藤はマウンド上でとにかく楽しそうだった。なにせ’89年は年間245回で21完投、’90年は224回で19完投、2シーズンで計40完投(13完封)と徐々に分業制が確立してきていた平成球界において、昭和のエースのような圧倒的な投げっぷりだ。なお平成30年間で、2年連続20勝を達成したのは、’89年と’90年の斎藤雅樹ただひとりである。

ちなみに背番号11に代わり、MVPに輝いた’90年は打撃も好調で、74打数18安打で打率.243という野手顔負けの数字を残している。もちろんフィールディングも球界屈指で、’90年代のゴールデングラブ賞投手部門は斎藤が4度受賞、桑田は5度とセ・リーグは事実上この野球センスの塊の2人の争いだった。

エースは「そんなもの斎藤に決まっているだろう」。

昭和のV9時代にエースナンバーの18番を背負った堀内恒夫は、雑誌『読む野球』(主婦の友社)のインタビューでこんな言葉を残している。「今まで見た中で、本物のダイヤモンドは江川と桑田で、原石だったのは斎藤。オーバースローでダメだったものが横投げにして一気に輝いた」と。つまり、藤田采配が我慢強く原石を磨き上げたわけだ。

巨人が日本一に輝いた89年、24歳・斎藤が20勝、21歳・桑田が17勝、26歳・槙原が12勝。しかも全員高卒ドラフト1位入団という理想的な先発ローテである。いったい誰があの時代の巨人のエースだったのか?  ホリさんはこう断言する。

「三本柱の中で、誰がエースか?  そんなもの斎藤に決まっているだろう」


3 砂漠のマスカレード ★ :2020/04/28(火) 00:12:08

目立たない若手がわずか数カ月で。

あれから30年が経った現在も平成初期の斎藤雅樹の活躍が、なぜこれほど印象に残っているかと言えば、圧倒的な数字に加え、そのストーリーにプロ野球というエンターテインメントの魅力が詰まっていたからだ。

伸び悩む“セイロク”が腕一本でチャンスを掴み、大人の世界において猛スピードで“平成の大エース”へと成り上がっていく様は、どんな映画よりもリアルでドラマチックだった。

何者でもない目立たないイチ若手選手が、わずか数カ月で人生を変え、球史に名を残す。2020年もそんな予測不能でスリリングなプロ野球を見るのが楽しみだ。開幕を待ちながらページをめくる、この手元の選手名鑑のどこかに、あの頃の斎藤雅樹のような未来の“令和の大エース”がいるはずだから。


7 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:14:51

平成の大エース


10 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:15:27

思ったよりも活躍した年数が短いんだよな
怪我でも苦しんだし


11 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:15:33

小早川に3連弾浴びた魂抜けた表情を強烈に覚えている


15 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:18:02

>>11
何年だったか忘れたけど開幕戦の出来事だっけ?


31 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:25:42

>>15
そう、1997年4月4日(金)の開幕戦

>>19
ゆうちゃん乙


21 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:19:44

投げれば完投完封のイメージがあるな
球は遅いし見ててつまらない投手だっけど 


27 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:24:03

>>21
サイドスローで148とか出してたのに?


38 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:28:42

>>21
145以上あって浮き上がってくるのに遅いはないな
まさにイメージ


45 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:30:25

>>21
表示以上に速くみえたがな
本当に試合見てた?


60 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:36:40

>>21
あの時代に先発サイドで140後半で遅いわけない。


36 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:27:28

斎藤っていつから上手投げからサイドに変えたの?
上の映像見てみたいんだが


68 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:38:32.46

>>36
ほれ

(出典 Youtube)


51 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:32:40

日本シリーズでは大したことなかった記憶が


53 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:33:39

>>51
オールスターと日米野球もだめだったような


56 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:35:27

96年は松井がMVPだったけど、斎藤でも良いのでは?
って声は実際にあった
投手は沢村賞あるから良いじゃん的なノリがあって受賞出来なかったけど


77 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:42:16.83

>>56
いやいや圧倒的に松井だった
あのメイクドラマのシーズンだぞ
夏場に松井が大爆発して大逆転の優勝
松井以外になんて声ほとんどなかった


93 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:48:06

>>56
あの年の松井の覚醒は球界の待望だったから仕方ない。実は96年も前半は過去2年とあまり変わらない感じで、前年にイチローが三冠取りそうなくらいホームラン打ったから、
打率だけじゃなくてホームランまでイチローに負けるとか松井って実は大したことないんじゃね?的な空気になりつつあった。そこからの後半覚醒。
チームも松井の爆発とともに逆転優勝だったから、MVPは松井で良かったのよ


98 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:50:23

>>93
松井がダメと言いたいのではなく、
96年の斎藤の成績も素晴らしかったということ
スポーツ新聞では斎藤を推す声もあったんだよね


66 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:38:14

落合が、中日時代は外から見てて桑田がエースだと思ってたが
巨人に入ると斎藤が本当のエースだった事に気付いたエピソードあるよな
味方からの信頼感は三本柱で圧倒的だったんだろうな
勝率も異常だしここぞで崩れない


75 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:41:43.81

>>66
落合ってやっぱり見る目無いんだなw素人目でも斎藤雅樹が圧倒的エースだったのに


67 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:38:21

なんとかって外国人があのカーブに手も足も出なくて空振りしまくってたな
キャッチャーが捕る位置はかなり外れたボールだけどストライクに見えるって


100 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:50:59.68

>>67
ワニ男パリッシュか?


78 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:42:38.98

槙原の全盛期のほうが凄かったな
王最後の年と藤田の最初の年の1年間ぐらいだったが


83 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:44:32.63

>>78
槇原と言えば広島大野との投げ合いかな


84 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:45:09

426試合で180勝てるのは凄いな


95 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:49:27

>>84
180勝うち完封が40あるからな
完封率2割超えてる投手は80年以降じゃいないんしゃないか


87 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:45:44

広島に斎藤のフォーム丸パクリの投手出現してたな
あのフォームはマネしたくなる
何で今こういうサイドいないんだろ


88 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:46:23

>>87
サイドであの球速出していくのは相当な馬力が必要


99 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:50:24

>>88
サイドの方が球速自体は出やすいらしいぞ
肩の位置より下くらいまで下がってるとどうかはわからんが


91 名無しさん@恐縮です :2020/04/28(火) 00:47:07

>>87
元祖は鹿取だな。