愛LOVEジャイアンツ

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トになります。

    2022年09月


    タイトル危ないかな。

    1 それでも動く名無し :2022/09/27(火) 23:56:16.34
    ・CS進出
    ・戸郷の最多勝
    ・大勢の最多セーブ
    ・大勢の新人王

    全てを失いそうで草

    【【悲報】読売ジャイアンツさん全てを失いそう】の続きを読む


    侍ジャパンですね。

    1 それでも動く名無し :2022/09/30(金) 02:42:49.07
    こう書いてあるわ

    WBC輝
    湯浅
    近本
    中野


    阪神・佐藤輝明内野手(23)が11月5、6日に東京ドームで組まれている「侍ジャパン強化試合2022」と同9、10日に札幌ドームで開催される「侍ジャパンシリーズ2022」での代表メンバー入りが内定したことが29日、分かった。栗山英樹監督(61)の初陣となるゲーム。球団からは近本光司外野手(27)、中野拓夢内野手(26)、湯浅京己投手(23)も選出されることになった。

    【侍ジャパン強化試合2022で阪神から近本 佐藤輝 中野 湯浅が選出される WW】の続きを読む


    村上打てなくなったね。

    1 jinjin ★ :2022/09/29(木) 23:40:12.04
    【ヤクルト】村上宗隆、56号持ち越しも18打席ぶり安打で打率トップ守る 中日大島と3厘差


    <広島4-5ヤクルト>◇29日◇マツダ

    日本選手最多シーズン56号本塁打に王手をかけているヤクルト村上宗隆内野手は、5打数1安打だった。

    13日巨人戦で55号を放って以来、これで12試合、53打席ノーアーチ。

    それでも2点を追う7回1死、広島ケムナから右前打。
    24日DeNA戦の第3打席以来18打席ぶりの安打を放ち、打率は3割1分7厘。
    4打数無安打だった2位の中日大島と3厘差とし、3冠を維持した。


    https://news.yahoo.co.jp/articles/606012c93ba40d6e20b406defb66528fc80ee514

    【ヤクルト・村上宗隆 12試合、53打席ノーアーチも18打席ぶり安打で打率トップ守る 中日大島と3厘差で3冠を維持】の続きを読む


    西武で指導ですね。

    【【朗報】内海哲也 巨人に戻らないことが判明!!!!】の続きを読む


    近鉄選手居なくなるんだね。

    1 愛の戦士 ★ :2022/09/29(木) 13:34:17.66
    サンスポ 9/29(木) 2:30

    最後の猛牛戦士が、ユニホームを脱ぐ―。ヤクルト・坂口智隆外野手(38)が今季限りでの現役引退を決意したことが28日、分かった。2003年に神戸国際大付高からドラフト1位で近鉄に入団し、オリックス時代の11年には最多安打のタイトルを獲得。16年のヤクルト加入後もレギュラーとして活躍し、通算1525安打を積み上げた。NPB(日本プロ野球機構)の現役選手では最後の近鉄出身選手。ファンに愛された男が大きな決断を下した。

    不撓(ふとう)不屈の魂で、ファンを魅了してきた男がバットを置く。坂口が今季限りでの現役引退を決断した。

    「ここ数年は覚悟しながら、まだ復活できると思ってやってきた。2軍暮らしが長くて若い子たちと一緒にやる中で、見られていることで体が動いた。一日一日、野球をうまくなろうと思えた。このチームで終われることが、まだ動けているうちに後輩たちに送ってもらえることが、自分の野球人生の幸せなのかなと。それが一番大きな決め手だった」

    泥臭く駆け抜けた20年間のプロ野球人生にピリオドを打つ。

    2003年に神戸国際大付高からドラフト1位で近鉄に入団。球団再編問題を経て、05年からオリックスに移籍すると、11年にはシーズン175安打で最多安打のタイトルを獲得した。

    15年オフにみずから自由契約を申し入れ、16年にヤクルト加入。「スワローズには拾ってもらって、7年間お世話になった。ずっと恩返しをしたいと思ってプレーしてきた」。新天地でもレギュラーを奪い、主に1番打者として活躍したが、若手の台頭もあって昨季は25試合、今季は23試合の出場にとどまっていた。

    晩年は故障に泣かされたが、泣き言は言わなかった。19年は左手に死球を受けて骨折。拳を握るたび、グラブをはめるたびに激痛が走った。7月7日の誕生日で38歳となった。勤続疲労で全身が痛み、毎試合前と就寝前に痛み止めは欠かせない。「『治ってくれ』と思いながら飲んでいる。おまじないみたいなもの」。献身的に支えてくれるトレーナーや治療院の先生のおかげでグラウンドに立ち続けた。

    ファンや、OBの思いも背負っていた。NPBの現役では最後の近鉄出身選手。「始まりを作ってくれた球団で感謝の思いもある。背負わないといけないし、責任もある。忘れた人なんていないと思う。みんなこれからも思い続けてほしい」と素直な願いが口をついた。

    今後は未定だが、「いずれは指導者になって若い子の手助けになれば。ずっと野球には携わっていきたい」と語った。

    181センチ、82キロのスリムな体で全力プレーを続ける姿が多くのファンを魅了した。3球団を渡り歩いた最後の猛牛戦士がユニホームを脱ぐ。

    ■坂口 智隆(さかぐち・ともたか)

    1984(昭和59)年7月7日生まれ、38歳。兵庫県出身。神戸国際大付高では2年春にエースとして選抜大会に出場。2003年ドラフト1巡目で近鉄入団。05年にオリックスへ移籍し、11年に最多安打(175)を獲得。08年から4年連続でゴールデングラブ賞(外野手部門)を受賞。16年からヤクルトでプレー。181センチ、82キロ。右投げ左打ち。独身。年俸5000万円。背番号42。

    ■大阪近鉄バファローズ

    近畿日本鉄道を親会社として1949年に近鉄パールスとして設立され、パ・リーグ創設に参加。59年から近鉄バファロー、62年から近鉄バファローズに改称し、79年に西本幸雄監督の下、球団創設30年目でリーグ初優勝を飾った。チャーリー・マニエル、梨田昌孝らを擁した強力打線は「いてまえ打線」と呼ばれた。

    ※続きはリンク先で
    https://news.yahoo.co.jp/articles/80dde6efd22c367b2b1b88f3acebb695f1ecf400

    【「最後の近鉄戦士」ヤクルト・坂口智隆が引退 内川、嶋に続き…偉大な選手が大きな決断】の続きを読む

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