12/30(木) 5:15配信
東スポWeb
元巨人監督の藤田元司氏(右)と原監督(2005年=東スポWeb)
【赤坂英一 赤ペン!!】原監督が執拗に〝強行軍ローテ〟にこだわった理由は何だったのか。2021年、巨人が後半戦で失速した原因の一つとして、原監督が先発投手の登板間隔を中6日から中5日に詰めた起用法があると指摘されている。
上位のヤクルト、阪神との6連戦に入った8月31日以降、原監督は先発投手を6人から5人に削減。6連戦の初戦に登板した投手を中5日で6戦目に回し、勝ち星を稼ぐ計算を立てた。
だが、フタを開けたら2勝2敗2分け。それでも原監督は先発5人制を変えようとせず、中5日、場合によっては中4日の短縮するローテに固執し続けたのである。
「(柱になる)先発投手が少ない中で、みんなで話して、よっしゃ、(中4〜5日で)いこう、となった。コンディションもしっかり作れている」
そう言った原監督のもくろみとは裏腹に、9月は6勝14敗5分け。10月は10連敗もあって4勝11敗3分けと低迷。なお、10連敗は原政権のワーストタイだった。
ところが、この大失敗にもかかわらず、原監督はオフになって「(中5日での)結果はともかくすごくよかったと思う。中5日は理想。(投手陣も)疲れたとか、一言も言わない。力のある人はそっち(中5日)のほうが正しい」と主張。来季の起用法についても「柱は4人。厳選された人には中5日くらいで回ってもらいたい」との方針を明かしている。
かくも原監督がこだわる中5日先発の原点は、おそらく師・藤田監督の起用法にある。その強固な信念を印象づけたのは、先発の柱・桑田(現チーフ投手コーチ)が不祥事で開幕から1か月の謹慎処分を受けた1990年のことだった。
桑田を欠いた間、藤田監督は斎藤、槙原、宮本、香田、木田の5人で先発ローテを編成。開幕後間もない4月、エース斎藤を3試合目から中5日で先発させると、4試合連続中5日で起用。斎藤もこれに応えて4試合連続完投勝利を挙げている(中6日だった開幕2試合目の初勝利から数えると5試合連続)。
桑田の復帰後、斎藤はいったん中6日に戻されたが、早く独走態勢に持ち込みたい藤田監督は、斎藤を5、6月にまた2試合連続中5日起用。終盤の9月になってもなお、2年連続20勝を達成させるために中5日で先発させている。
この90年、通常なら投手を12人一軍ベンチに入れるところを、藤田監督は常に10人、時には9人で回した。投手の疲労度も尋常一様ではなかったようだが、文句を言えば即二軍落ちだ。
先発の誰もが黙々と投げ続け、巨人は88勝で記録的独走優勝。うち先発投手の勝利は76に上った。その疲れのためか、日本シリーズは西武に0勝4敗で敗れたが。
しかし、同じ中5日でも、藤田監督と原監督の起用法には大きな違いがある。藤田監督は先発完投を基本とし、90年は70完投を記録。これを今再現することは不可能としても、原監督は今季先発を5回途中までに降ろした試合が47。こういう使い方では、原監督の言う「力のある」投手はなかなか育たないのではないだろうか。
☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。日本文藝家協会会員。最近、Yahoo!ニュース公式コメンテーターに就任。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」(講談社)など著作が電子書籍で発売中。「失われた甲子園」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。他に「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。
(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)
https://news.yahoo.co.jp/articles/0fd93bcee16b6694d022e62e76c46ae476ce4068
2021年12月
野球見始めた時の巨人のキャッチャー
楽天・田中将大、9億円で更改
楽天の田中将大投手(33)が30日、現状維持で日本球界最高額となる年俸9億円で契約を更改した。米大リーグから8年ぶりに復帰した今季は打線の援護に恵まれず4勝9敗、防御率3.01。チームはパ・リーグ3位に終わった。球団を通じ「来季は一番高いところまで、みんなで行けるように頑張りたい」とコメントした。
田中将は復帰した際に2年契約を結んだが、今季終了後に契約の見直しや破棄ができる条項が付帯されていた。大リーグに戻るかどうか注目されていた中で残留を決断。来季は9年ぶりの日本シリーズ制覇を目指す。
楽天は全選手が契約更改を終えた。(金額は推定)
共同通信
https://news.yahoo.co.jp/articles/357a350b7e2d6a74ace6823225b0ad3c03e2c91a
「巨人・原監督」が「新庄&稲葉・日ハム」を自由契約になった「西川獲得」に失敗した理由
12/30(木) 6:01配信
デイリー新潮
これは運命なんだ
編成権まで持つ全権監督の面目丸潰れか
再び蓄えたあごひげが巨人との“決別”を強調しているようにも見えた――。ビッグボス・新庄剛志監督と稲葉篤紀GM率いる日本ハムを自由契約となり、楽天入りが決まった西川遥輝外野手が25日、オンライン上で入団会見を行った。当初は巨人の原辰徳監督が号令をかけ、西川獲得に王手をかけたと言われてきたが、ものの見事に失敗したという。その顛末についてレポートする。
西川は会見で「また野球ができることに非常に喜びを感じている。決まった時は本当にほっとした」とコメント。年俸は今季の2億4000万円から65%の大幅減となる8500万円(年俸はいずれも推定)で、背番号は6に決まった。
「(楽天の)石井(一久)監督から『これは運命なんだ』と言ってもらえたことが僕の中では決め手でした」とも明かした。4年連続でチーム盗塁数がリーグワーストとなっている楽天にとって西川の走力は確かに大きなプラス要素になる。石井監督兼GM自らが口説き落としに成功したことで、チームはピースを埋めた格好だ。
ただ、そもそも当初の段階で西川は巨人入りが半ば“既定路線”とみられていた。12月6日付の複数の朝刊スポーツ紙では、巨人が日本ハムから自由契約となっていた西川の獲得調査に乗り出している、と不自然な形でほぼ横並びになる形で一斉に報じられていたからだ。
西川は梶谷の代役にうってつけ
思わず大本営発表かと見まがう記事のカラクリは「巨人側がリークした観測気球」とみられており、どうやら水面下では全権監督を担う巨人原辰徳監督の大号令の下、西川獲りのシナリオが着々と進められていたようだ。
関係者の話を総合すると、巨人側は当初、近年固定できていないリードオフマン(1番打者)の有力候補として西川に白羽の矢を立てていた。
29歳と若い上に今季24盗塁をマークして4度目の盗塁王に輝いた走力と通算3割8分の高い出塁率を評価。西川が今オフに日本ハムから、球団が来季の保有権を放棄するノーテンダーFAとなった直後から原監督の“ツルの一声”で獲得に向けて動き始めていたという。
球団関係者によると、
「懸案の『1番打者の固定』が図れず苦しんだ原監督は、西川をかなり欲しがっていた。昨オフに4年契約でFA移籍して来た梶谷隆幸外野手は1番も任されていたものの、左太もも裏の違和感、右手甲の骨折など故障を繰り返し、9月には腰痛も発症して再三に亘って離脱。10月にはその腰を手術して現在もリハビリ中のため、開幕に間に合うか微妙なところもあり、『西川は梶谷の代役にうってつけ』という全権指揮官の断が下されていた」
もっとも、球団内も一枚岩ではなかったという。
「その一方で梶谷がリハビリを終えて一軍に合流する場合、果たして西川と共存を図れるのかという疑問の声が球団内や現場サイドから次々と上がってきたのです」(同)
獲得の「別の側面での悪影響」
この球団関係者が続ける。
「梶谷に代わって、生え抜きの松原聖弥外野手が台頭し、今季は主に1番を任されていました。同じ外野手の1番候補が飽和状態となっているにもかかわらず、走力は優れているとはいえ、弱肩で貧打の西川をわざわざ獲りに行く必要性があるのかと球団やチーム内の多くが首をかしげていた。外野手は他にも主力の丸佳浩、それに八百板卓丸や重信慎之介らが控えており、亀井善行が今季限りで引退したとはいえ、メンツは揃っている。繰り返しになるが、西川獲得の必要性があったのか、疑問符がいくつもついてしまう」
それだけではない。西川の獲得にはチーム内から、「別の側面での悪影響」も心配されていた。同じ古巣・日本ハムでチームメイトに対する暴力問題を引き起こし、今年8月に無償トレードで巨人入りした中田翔内野手の存在があったからだ。
「西川は日本ハム時代、中田のことを兄貴分として慕っていました。言わば“中田軍団”の参謀格。巨人移籍が決定的と一時ささやかれていた今月上旬には中田も『遥輝、ホンマに来るの?』と一部メディアに西川の下の名前を口にし、逆取材していたほど昵懇の関係です」
と、スポーツ紙担当記者。
(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)
https://news.yahoo.co.jp/articles/4c9df72645072f563f79ca012de054df1f76edda
東北楽天、来季は1億円プレーヤー13人 歴代年俸10傑を調べてみた
2021年12月30日 06:00
https://kahoku.news/articles/20211228khn000030.html
(出典 kahoku.news)
プロ野球東北楽天の2022年シーズンの陣容がほぼ固まった。支配下登録選手68人のうち、年俸1億円以上の選手は13人に上る。球団ができた05年は2人だった。この間、高額年俸選手の顔ぶれはどのように移り変わったか調べてみた。(編集局コンテンツセンター・佐藤理史)
■創設時は岩隈1億8000万円
【05年】
新規参入1年目のチーム最高額は岩隈久志投手の1億8000万円。前年、近鉄でパ・リーグ最多勝(15勝)を挙げ、約3倍に増えた。2位の礒部公一外野手は1億3000万円。前年は26本塁打と活躍し、近鉄の選手会長として労使交渉にも奔走した。2人は分配ドラフトで、オリックスと近鉄の合併球団のプロテクトを拒否し、東北楽天入りした。
他の創設メンバーは分配ドラフトでプロテクトから外れた選手と、他球団を戦力外となった選手で構成され、年俸は低めだった。
【06年】
フェルナンデス内野手が2億円で契約した。ロッテ、西武での3年間の実績が買われた。07年も同額でトップだった。
【08年】
山崎武司内野手が1億8000万円で最高額となった。39歳を迎える前年に43本塁打、108打点でリーグ2冠に輝き、オフに2年契約を結んだ。リック内野手は2年連続の打率3割が評価され、1億円に乗せた。
【09年】
岩隈がトップに返り咲いた。前年に最多勝や沢村賞のタイトルを獲得し、3億円で3年契約を結んだ。当時のパ・リーグ投手の中でも最高額だった。
ラズナー投手は1億円で新加入した。米大リーグヤンキースで先発陣の一角を担った右腕で、球団が獲得した初の本格的なメジャーリーガーだった。
【10年】
田中将大投手が球団生え抜きで初めて1億円プレーヤーとなった。前年に15勝を挙げ、チームの2位躍進に貢献。1億8000万円でサインし、高卒4年目で大台を突破した。
前年、首位打者に輝いた鉄平外野手は倍増以上の1億2000万円を勝ち取った。中日からフリーエージェント(FA)で加入した中村紀洋内野手は、2年契約の2年目のこの年、1億5000万円で更改した。
【11年】
米大リーグから松井稼頭央、岩村明憲の両内野手が加入。ともに1億5000万円で契約した。
【12年】
前年まで3年間、1、2位を占めた選手がチームを去った。岩隈は海外FAで大リーグに移籍し、山崎は中日に復帰した。
代わってトップに立ったのは田中。前年は投手部門リーグ3冠、沢村賞を獲得し、オフに1億2000万円増の3億2000万円で更改した。ブルペンリーダーの小山伸一郎投手は1億円に乗せた。
【13年】
メジャー434本塁打の大物ジョーンズ外野手が3億円で入団した。1億円で加入したマギー内野手とともに打線を引っ張り、球団初のリーグ優勝、日本一を果たした。
■連覇狙い大型補強を敢行
【14年】
田中がポスティングシステムで米大リーグに移籍。連覇を狙う球団が大型補強を敢行した。
メジャー通算150本塁打のユーキリス内野手と3億円で、オーストラリア代表左腕*リー投手と2億円で、それぞれ契約した。ソフトバンクで5季プレーしたファルケンボーグ投手は2億円。鉄平とのトレードでオリックスから獲得した後藤光尊内野手は5年契約の4年目で、1億5000万円だった。
優勝に貢献した嶋基宏捕手は、球団生え抜き野手で初めて1億円プレーヤーとなった。中継ぎでフル回転した青山浩二投手も大台に達した。
【15年】
メジャー61本塁打のサンチェス内野手を2億5000万円で、広島で3季プレーしたミコライオ投手を1億5000万円で、それぞれ獲得した。エース則本昂大投手、全試合出場を果たした藤田一也内野手が1億円超で更改した。
(出典 Youtube)